友達不要論とは

友達不要論とは

■友達は家族とは違いますから、友達がいなくても大丈夫ですよ!

世の中には、必要なものと不要なものがあります。

長く生きていれば、わかるのですが、一見、必要そうに思えても実は必ずしも必要ではないものもあるのです。

その中の一つは、友達ではないでしょうか。

友達というと、学生時代は、家族以外で付き合う比率が一番高い訳ですから、友達付き合いが嫌でも多くなるわけです。

それは、教室等の狭い空間に同じ人間が一定期間、一緒に過ごすので、親しくなったりするわけですから、友達が必要なのはわかります。

ただし、就職したり、家庭を持つようになると、どうしても仕事や家庭を優先するため、友達付き合いに時間を費やすことが難しくなるわけです。

そうなると、友達がいても、会うこともできなくなるため、どうしても友達との距離が離れてしまいます。

また、シニア世代になると、時間に余裕はありますが、体力が落ちているので、会いに行くのも辛かったりもします。

さらに、それぞれの人生観がありますので、家庭環境や経済面等で友達との会話がかみ合わないことも間々ありますので、余計に付き合いが億劫にもなります。

昔と変わらず、仲良く付き合えるのが理想ですが、時間の経過により、生き方や考え方にすれ違いが生じてしまうため、昔のようには、付き合うことが難しいのが現状です。

それは、いくらたくさん友達がいたとしても、同じことです。

たくさん友達がいても付き合える人数と時間は限られますので、友達が多いことを自慢しても意味がありません。

それならば、いっそのこと、友達なんていなくてもいいのではないかという想いをめぐらせることもあるわけです。

現に友達がいなくても、仕事や家庭が充実していれば、何の支障もありません。

学生時代とは違って、社会人やシニア世代には、むしろ友達がいないことで得られるメリットもあるわけです。

人生において、友達が必ずしも必要でないと考える生き方こそが友達不要論です。

もちろん、友達の存在を否定しているわけではありません。

友達がいて、交流することが楽しいのであれば、何も問題ありません。

しかし、友達というのは、いざというときには、全く頼りにはなりません。

友達というのは家族とは根本的に違うからです。

友達というのは、楽しいことには寄り添いますが、大変なことや困りごとにはお手伝いはしません。

友達がしないことの代表例は、

1.病気になったときの病院の送迎や入院の事務手続、看病、死後の手続等

2.育児や介護

3.炊事・洗濯・掃除や買い物

以上です。

また、友達は、昔と同じ関係が続くとは限りませんので、いつ豹変して裏切り行為により終わるかもしれません。

友情は、一瞬で切ることが出来ますので、自分にとって付き合うことがメリットがなくデメリットであれば、バッサリ切ってしまうのも手です。

友情が終わる瞬間は、

1.金銭トラブル

2.異性トラブル

3.詐欺や脅迫等の不法行為

4.偏見や妬み

以上です。

ですから、いくら親しい友達であっても付き合うことに怖さがあります。

このようなトラブルに巻き込まれたくないなら、やはり友達付き合いは辞めるべきです。

友情というものは、脆くまったくあてにはなりません。

元ブルーハーツの甲本ヒロト氏の友達に関する名言があります。

「趣味も違うのに友達になれるわけないじゃん。

山手線に乗ってて、『はい、この車両全員仲よく友達ね』って言われても、『いや、偶然今一緒に乗ってるだけなんですけど』って。友達じゃねぇよ。」

勇気づけられる言葉です。

友達がいなくても、何も恥ずかしいことではありません。

学生諸君で友達がいなくても全く問題ありませんから、気にしないでください。

友達のことよりも自分の人生を充実させることにエネルギーを費やすべきです。

それが仕事であれ、家族であれ、趣味やスキルアップであっても構いません。

それが生きていく道ではないでしょうか。